私たちは、名のとおり“住”をお届けする会社。
ですが、家族の夢をカタチにするために信頼という心のつながり、
出会いという人のつながりそしてご提案の先の感動をお届けしています。
何より大切なことは“お客様に喜んでもらうこと”。
そんな想いでお届けする“住”を世の中に広げていくことが丸和住宅の喜びです。
そして創業から45年、一番喜びを与えていただいたのは私たちかもしれません。
GREETING
心からの感謝とあふれる想いを
丸和住宅らしく伝えていきたい。
お客様、関係業者様、地域の皆様、そして多くの社員に支えられ創業45周年を迎えることに、皆様へ心から感謝を申し上げます。私たちは「すべてはお客様に喜んでもらうことからはじまる。」を基本理念に、家を建てるだけではなく、その先の暮らしのアドバイザーとしてお客様に寄り添ってきました。これから私たちが向き合う家と街づくり、それは『働き方改革』により、家にいる時間・家族といる時間が増えてゆく中、安心・快適な家づくりに加え「家での時間が楽しい」「早く帰りたくなる」住まいの提案です。そして定住・移住する魅力のある街づくりです。多くの故郷を官民一体となって創っていきたいと思います。そのために、過多な情報や混沌とした世の中に目を向けがちですが、創業当時の思いからブレることなくお客様に頼られる企業であり続けます。
(株)丸和住宅 代表取締役
1975
有限会社丸和住宅設立
1976
大森克則が生まれる
祖父、そして父から
自然と学び取った
“働く”ことの喜びと誇り。
商売人の子どもとして生まれ、物心がついた頃には、祖父母が営む個人商店や植物園の手伝いをしていた大森克則。その中で「接客する楽しさ」や「仕事を通して、人に喜びを与えられる喜び、そして誇り」といったものを、自然と身につけていきました。“働く”ということに対する基本的なスタンスは、すでにこの頃に培われた様で、それがそのまま今へとつながっています。
1982
有限会社丸和設立
(農業法人)
1990
大森克則が将来を見据える
中学生の頃から大切に
感じていた“お客様の気持ち”。
幼少の頃から、父親の働く姿をすぐそばで見ていたため、中学2年生の時の文集に「父の跡を継ぎ、住宅関係の仕事に就きたい。」「土地や家を買う人の気持ちを分からないといけない。」と記しています。当時から、お客様の気持ちを大切にするという意識を、父親から学び取っていたことがわかります。
1992
大森克則アルバイトを
スタート
アルバイトを通して知った、
仕事へのプライドや責任、
そしてお客様の喜び。
ガソリンスタンドでのアルバイトの先輩からの教えを必死に覚え、それらの業務が何のためのものなのかを考え、自分なりの工夫を凝らした大森克則。アルバイトを通して、仕事をすることのプライドや、信頼を積み重ねることの大切さを学び、後に丸和住宅の理念となる「すべてはお客様に喜んでもらうことからはじまる」という考えが生まれました。
1993
株式会社丸和住宅に組織変更
職人の集まり「丸和会」が発足
今なお、ともに成長し、
ともに支え合う
「丸和会」が発足。
協力会社や職人の集まりである「丸和会」が発足。その後も、つながりを大切にしながら、2018年で25周年を迎えます。今の丸和住宅があるのは、腕のいい丸和会の職人さんがいたからに他なりません。これからも、丸和会をはじめ、周りの人たちを大切にすることで、丸和住宅の成長に繋げていきます。
1996
大森克則が入社
建物完成2,000棟達成
お客様により良い提案をするため、
日々、住宅・不動産業界の勉強。
入社当時、大森克則は住宅や不動産に関する知識が全くありませんでした。住宅ローンの計算や仕組みを理解すれば、お客様により良い提案ができるとの考えから、猛勉強の日々が続きました。
1997
株式会社丸和住宅 鹿沼支店の立ち上げ
21歳で臨んだ大いなる挑戦。
「鹿沼支店」の立ち上げ。
鹿沼支店の立ち上げを任され、支店長に就任した大森克則。自らテナント探し、店舗運営の手続きや申請などを行い、どうすれば店舗の運営がうまくいくかを考えながらの挑戦となりました。
1998
新本社社屋竣工
2000
株式会社丸和住宅 足利支店開設
2002
大森克則が営業部長に就任
“売れるために
できること”を、
毎日、地道に、コツコツと。
鹿沼支店を他のスタッフに任せ、本社に戻ったと同時に、「営業部長」に就任した大森克則。しかし当時は部下がいなかったため、現場の作業までを自らの手でこなしていました。物件が売れるために自分自身ができることを徹底的に考え、草むしりやポスティングといった現場づくりを含めて、地道な活動を続けていきました。
2003
建物完成3,000棟達成
2004
大森克則が3代目社長に就任
株式会社ユーアイシティクリエイト吸収
日本バイオテック株式会社商号変更
27歳で社長に。
覚悟と責任を
背負った決意。
当時の社長は、海外事業に注力しており、その結果、社員たちも迷走していました。その中で、大森克則はただならぬ責任と覚悟を持って、丸和住宅の社長になることを決意しました。「いま思うと無謀な冒険でしたが、あの時、思い切った挑戦をしなければ、今の丸和住宅はなかったかもしれない。」と当時を振り返ります。
2005
株式会社丸和住宅 新鹿沼支店開設
自分の目で見て、ヒントを得る。
繰り返し続けて
大型案件を成功に。
新しい丸和住宅のスタート。
丸和住宅の更なる成長を目指し、毎年あたらしい目標を掲げながら必死に取り組んでいました。他社が手がけた現場に視察にいき、ヒントを得て、仕事に活かすという繰り返しで、企業としても成長を遂げ、どん底の時期を抜け出しました。その後、鹿沼市で50区画の大型案件を手がけることとなり、鹿沼支店を開設。当時、挑戦したことのない規模でしたが「街並みをつくる」という、それまではやったことのないアプローチが功を奏し、見事にプロジェクトは成功。分譲地、住宅の良さをよりPRしたいと考え、「営業企画室」などを設置し、組織としても成長しました。
2008
年間受注棟数100棟達成
地域活動・お客様イベントスタート
「泊まれるモデルハウス」スタート
企画商品「とってもイチゴ」販売開始
初の企画商品をリリース。
大切なのは、買いやすさと
分かりやすさ。
リーマンショックの影響を受け、短期的ではありますが、丸和住宅の経営は危機的状況に陥ります。その反省からお客様にとっての「買いやすさ」や「分かりやすさ」が何より必要であると企業として痛感。そこで開発したのが、丸和住宅にとって初の企画商品、『とってもイチゴ』。現在まで、多くの企画商品をリリースしてきた丸和住宅ですが、お客様の気持ちや市場のニーズを徹底的に考え、持っているアイデアを集結させるという本質的な部分は、この時から変わっていません。逆境の中で取り組んだこれらの施策により年間の受注棟数がはじめて100棟を超えます。苦しい時にこそ、行動を起こす大切さを改めて感じる年となりました。
育ててもらった地域への
還元を目的に、
数々のイベントをスタート。
丸和住宅は、地域に育てられて、成長することができました。だからこそ、できるだけ地域に還元するべく、たくさんのイベントを実施。「職業体験」「C級グルメ大会」「クリスマスバスツアー」「感謝のつどい」など多くは、この頃にスタートさせたものです。イベントを通して、たくさんの笑顔に出会い、喜びが広がることを実感しました。
様々なお客様イベントを開始。
すべては「家づくりは、
思い出づくり」という思いから。
家づくりは、お客様にとって、一生で一度のこと。「家づくりは、思い出づくり」との想いを大切にしてきたからこそ、そのかけがえのない思い出を輝き続けるものにしたい、そして丸和住宅をパートナーとして選んでいただいた感謝の気持ちを、カタチにしたいと思い「ゴールドピンの打ち込み」や「シャンパンサービス」「上棟祭」「引渡しDVDの鑑賞〜配布」などのイベントを企画・実践。引き渡し時のDVD鑑賞では、涙を流されるお客様もいて、家づくりに携わるものとして、大きな喜びや誇りを感じます。
家の良さをきちんと理解して
もらうために「宿泊体験型
モデルハウス」スタート。
丸和住宅の家の品質を、実際に体感してもらうために、「泊まれるモデルハウス」をスタート。お客様にきちんと家の品質の良さを知ってもらうために、スタッフ自身も実際に泊まって体感します。お客様の宿泊日当日はスタッフが現地に出向き、お客様をアテンドし、旅館のようなおもてなしをしながら、家の良さを説明させていただきます。
2010
宅配業者の方がお客様に。
「きちんと挨拶してくれる
のは丸和住宅だけ」。
この年、いつも郵便物を届けてくれる宅配業者の方が、弊社で家を建ててくれます。話を聞くと「たくさんの企業に荷物を運んでいるが、社員全員が、きちんと挨拶をしてくれるのは、丸和さんだけ。だからきっといい家をつくってくれるに違いない」とのこと。協力会社を含めて、人を大切にし、おもてなしの心を持つことを大事にする丸和住宅を象徴するエピソードです。
2012
家リフォーム専科イオン栃木店開設
OBさんや協力会社の方々の
役に立つために、
リフォーム事業を開始。
この年、長年構想にあった「リフォーム事業」へ進出しました。その理由は2つ。まずは、当時すでに築35年レベルのOB様達に対し、アフターサービスを通して、お役に立ちたいという思い。そしてもう一つは、既成品を使う家づくりが主流の時代において、協力会社や職人さん達の仕事が減っている状況を打破し、存続に貢献することで、地域活性化に寄与したいという思いからでした。
2013
住まいトータルサポートセンター開設
2014
鹿沼支店を
リニューアルオープン
小山支店を開設
建物完成4,000棟達成
2015
グループ会社とちぎ未来開発
株式会社設立
株式会社第一住宅を子会社化
高級ラインを扱う第一住宅
を買収。より幅広い層に
喜びを広げるため。
これまで扱ってこなかった高所得者向けのデザインに特化した分野を強化し、幅広い層に喜びを広げていきたいという狙いから、第一住宅を買収。当時、住宅業界における買収は珍しく、日経の一面に掲載されるニュースでした。大森克則の考えは、社員は親戚であり、仲間にほかならないということ。それは第一住宅においても変わらず、社名や、働く社員のすべてを受け入れ、丸和色にするつもりはないことも約束しました。
2016
栃木住宅公園展示場に
展示場出展
2017
マルワホールディングス株式会社設立
グループ会社とちぎリフォーム株式会社設立
グループ会社エージェントホーム株式会社設立
グループ会社とちぎフィールド株式会社設立
株式会社むぎくらとの業務提携
チームとしてのさらなる
成長を目指し
ホールディングス化を敢行。
組織全体として適材適所の人員配置を行い、すべてのスタッフに対して、しかるべきポストを与えることで、より強い責任感を持つこと、そして結果として、チームとしての一体感や責任感を強めることを目的に、ホールディングス化を決行。また、これには変化の早い現代において、様々にカタチを変えながらも「丸和」という屋号を、時代を超えて残していきたいという、狙いもありました。
エリア拡大と組織の
活性化を狙って
むぎくらとの業務提携を行う。
異なった地域において、同じ事業を行う株式会社むぎくらとの協定を結び、それに伴って、宇都宮支店を開設。これにより、競い合うことなく、エリアの拡大を実現しました。また、「親友であると同時にライバルでもある」という関係性を構築することで、互いに刺激し合い、社員同士の関わり合い方の活性化も狙っています。
2018
宇都宮支店を開設
企画商品「ファミクロハウス」販売開始
自由設計「ギャブハウス」販売開始
2019
栃木商圏にて11年連続で
着工棟数が第一位に認定
2020
CRTハウジング小山に
展示場出展
分譲地数500箇所、
4,500棟以上の実績
WORKS of
HOUSE
オフタス宇都宮市西が岡
マチナカモデルハウス
アウトドアをテーマにした「大型土間リビング」のある、遊び心いっぱいの家。
ジム上三川
マチナカモデルハウス
いつも声が聞こえる、そばで暮らしを共有できる、子どもと愛犬と暮らす平屋の家。
ギャブハウス宇都宮平出
マチナカモデルハウス
時と共に味わいが生まれる、経年という「美」を愉しむ、自然素材をつかった家。
ギャブハウス宇都宮下岡本
マチナカモデルハウス
土間や庇、軒、縁側、格子など日本古来の「美」を採り入れた懐かしく新しい家。
マルワタウン運動公園北側
マチナカモデルハウス
開放的な空間でゆったりと仲間と集う、西海岸をイメージした太陽と海の家。
マルワタウン片柳一丁目
マチナカモデルハウス
まるで別荘地にいるようなプライベート感あふれる「中庭」がある大人の家。
WORKS of
TOWN
ファミクロタウン運動公園北側
[全32区画]
家族との暮らしを持て余すなんてもったいない。家族ともっと近くで、もっと楽しく「100%家族ライフ」を満喫できる街。
マルワタウン惣社町46
[全46区画]
子どもたちに、一生の思い出になる「実家」をつくろう。をテーマに、親がしたいと思う暮らしに向き合った46家族の街。
マルワタウン鹿沼上石川
[全28区画]
「快適なカーアクセス」「安心で安全な街区」「豊富な家の選択肢」これらをしっかり実現し、暮らしの可能性が広がる街。
マルワタウン大宮北小学校前
[全17区画]
新しい暮らしは豊かで、楽しいほうがイイにきまっている。家族の人生を盛り上げる10個の暮らしのエキサイトがある街。
45周年を迎えられた感謝を込めて、これからも多くのお客様に楽しんでいただける、また家づくりの参考にしていただけるイベントを開催して参ります。こまめにイベントをチェックしてみてください。